徒然なる日記

家庭や仕事、社会について日々感じる事を書き連ねます。時には小説のような創作にも挑戦します。

介護保険について③事業対象者のルーツ

介護保険制度の改正において、6年に1回訪れる医療保険の診療報酬との同時改定は大規模な変更を伴い、重要だと言われている。

時に「医療がクシャミをすれば、介護が風邪を引く」と揶揄されるほど、大きな影響を受ける。


最初の同時改定があった2006年だけでも、「要支援」が「要支援1」と「要支援2」に分かれたり、要支援と要介護のサービスを分けたりと様々な制度変更はあったが、やはり中でも大きいのは地域包括支援センターの設置だろう。地域包括支援センターは、二枚看板であり、1つは要支援の認定者のケアプラン立案を一手に担う謂わば予防ケアプランセンターとしての側面。もう一つは保健・医療・介護・福祉のワンストップ相談窓口や権利擁護、地域のネットワーク作りやケアマネジャーの支援などを行う包括的支援事業であり、地域包括支援センターとしては本来、こちらがメインだろう。


ところが全国の自治体において、当初この二面性と業務の膨大さが理解出来ておらず、全国の地域包括支援センターは猛烈な人手不足と機能不全を起こし、地域包括支援センターの役割は絵に描いた餅となってしまった。

具体的には、ほぼ予防ケアプラン作成と虐待対応に追われてしまい、それ以外の業務が棚上げ状態に陥ってしまった。

筆者も当時、現場に居合わせた1人として、悲惨な状況を目にして来たが、また機会があれば当時の様子を伝えたい。


そんな地域包括支援センターが、取り組みたくても充分に取り組めなかった業務の一つに介護予防事業というのがあり、これが現在の介護予防・日常生活支援総合事業(総合事業)に繋がる。


元々は2006年当時、増え続ける要支援・要介護認定者に対して、重度化予防と新たな要介護者を抑制するために、介護予防という概念を持ち出して来たとも言える。


当時は広く一般向けのポピュレーションアプローチとしての一般介護予防事業、今後近い内に要介護となる危険性の高い人向けのハイリスクアプローチとしての特定高齢者事業の2つを用意していた。

特にハイリスクアプローチである特定高齢者事業に力を入れていた訳だが、そうした対象者を抽出するのが容易では無かった。

まず対象者が何処にいるのか分からない。厚生労働省は例として、介護保険認定で介護度が認められ無かった非該当の人や、高齢者の検診未受診者等を想定していたようだが、結論から言えば上手く行かなかった。

その後、特定高齢者は二次予防事業対象者を経て、介護予防・日常生活支援総合事業における「事業対象者」へと形を変えて移行してきたことになる。

この「事業対象者」は高齢者が基本チェックリストというものを受けて該当すればサービスを利用できるというものだ。特筆すべきは、保険給付サービスの該当となる福祉用具レンタルや医療系サービスの利用を検討していない場合、面倒な介護保険の認定手続きをせずに通所サービス(いわゆるデイサービス)や訪問サービス(いわゆるヘルパーサービス)を利用できる点にある。

この基本チェックリストは特定高齢者時代から対象を抽出するために利用されてきた。特定高齢者は要支援認定者よりも更に軽度者、いわゆるフレイルなどで近い将来に要支援・要介護認定者になる恐れが高い前段階の高齢者とされてきた。しかし、該当者はしばしば介護認定を申請すれば認定が降りるレベルの者が多いという指摘が、少なくとも現場レベルでは言われてきた。

そう言う意味で言えば、これらの概念的な矛盾を解消するような制度改正が介護予防・日常生活支援総合事業において行われたと考えられる。

もちろんまだ問題が無い訳ではないが、かなり改善されたと言えるだろう。


今回の事業対象者のルーツについては以上とする。なお、内容についてはやや専門的であり、事実を踏まえた筆者の解釈であることを付け加えておくが、そんなに間違ってはいないと思う。


介護保険について②介護認定の制度

今回は、介護保険関係の業務に長く従事してきた観点から介護認定の制度について説明する。
これまでの知識や経験を基に分かりやすい説明を心掛けるが、内容の正確性については限界があることを申し添えておく。


介護保険制度を利用してサービスを受けるためには、『原則として』介護認定を受ける必要がある。

これは介護の必要性(手間)を評価して、要支援1〜2と要介護1〜5にランク付けを行い、利用できるサービス量(支給)に限度額を設けるものだ。なお、最も介護度の軽い要支援1にも認められない「非該当」となるケースもある。

基本的には要支援1➡︎要支援2➡︎要介護1➡︎要介護2➡︎要介護3➡︎要介護4➡︎要介護5の順で支給限度額(=介護度:介護の必要性)は増える。

普通に考えると、支給限度額が増えれば、利用できるサービス量も増えると考えられる。事実そのような傾向ではあるものの、必ずしもそうとは言い切れない面もある。
何故なら同じサービスを利用する時、多くの場合は要介護1などの低い介護度よりも、要介護5などの高い介護度の方が料金は上がるからである。

介護度がどのように決まるかというと、次の手順を取ることになる。

⒈まずは役所で要介護認定の申請を行う。
この際に、主治医の情報が必要となる。また基本は65歳になった時に役所から送られてくる介護保険証が必要だが、新規の申請時にきちんと保管している人は少数派である。手元に無ければ、その場で再発行申請をすれば問題なく手続きは行える。

⒉認定調査を行う。
役所の職員が自宅などへ赴き、厚生労働省が決めた寝たきりの度合いなど心身の状況を調べる74項目の基本調査と特記事項について聞き取りなどを行う。

⒊主治医意見書の提出
役所から要介護認定の申請書に記載された主治医の下へ主治医意見書の用紙が送られ、記載するように依頼が行われる。主治医は診察などを踏まえ記載して、役所へ返信することになる。

⒋認定審査
認定調査の結果と主治医意見書が揃ったら、まずは認定調査の内容を中心に、コンピュータによる一次判定が行われる。その結果を踏まえ介護認定審査会が開催され、主治医意見書の内容と特記事項の内容を踏まえ二次判定を行う。その結果、要介護認定が決定する。基本的に一次判定と二次判定で結果が大きく変わる事は無く、変動しても介護度で1つ程度である。

⒌結果の通知
認定結果を通知するため、申請者に郵送で結果が通知される。その際に介護度が印字された新しい介護保険証が同封されている。

通常は、以上のような流れを経て、介護認定を受けて、その後にサービス利用の手続きに移ることになる。もちろん「非該当」となるとサービス利用は出来ないことになる。
ただし、冒頭で『原則として』としたが、例外もある。それは『事業対象者』である。
次回は、この事業対象者と、それに関連した介護予防事業について説明することにする。

介護保険について①介護保険制度の概要

筆者は介護支援専門員(ケアマネジャー)や社会福祉士の資格を持っている。

そのような立場から、今回から介護保険制度について筆者なりの解釈に基づいて解説をしていこうと思う。

なるべく事実に基づいて述べるつもりだが、もし事実と異なる内容や誤解を与える内容が含まれていた場合には、ご容赦願いたい。


本日はイントロダクションとして、概要について述べる。


まず介護保険制度の成り立ちを簡単に言えば、それまで行政が「措置」として実施していた介護サービスを、住民と事業者による「契約」に基づき提供しようというものである。


それまで介護を必要とする住民が介護サービスを受けようとする場合、まずは役所に届け出て、役所が住民に提供する介護サービスを決定していた。

ここではサービスの提供を受ける住民自身に選択の余地は無かった。


この頃の介護サービスを提供していた事業者は、役所が直接の運営する場合や、地域の社会福祉協議会を始めとする社会福祉法人などが主だった。

一定の質を担保出来る一方、融通が効かずサービスの需要に対して供給が不足するなど、問題もあった。

更に言えば、急激に進行した少子高齢化の影響もあり、増え続ける介護ニーズを踏まえると、サービスの供給量を確保する事は困難だった。

事実、介護を必要とする人が、医療保険を使い長期療養型の病院に入院することで、医療費が膨張するという問題もあった。


そこで2000年より医療から介護を分離して、さらに社会保険化する形で、介護保険制度がスタートした。

その影響については当然、良い面と悪い面がある。

まずは良い面として、介護保険制度の開始に伴い、株式会社などの営利企業が介護サービス業界に参入する事が可能となった。これは供給量を増やす面では効果があった。

また、事業者の増加による競争原理が働き、サービスが向上する事にも繋がったが、これにはデメリットも含まれるため、後で述べる。

次に悪い面として、営利企業なので仕方ないかもしれないが、利益を追求する事による副作用の問題だ。

1つは利益率を上げるため、無理な顧客獲得と現場の過重労働、人件費の抑制である。いわゆるブラック企業が多く、福祉に携わる人間のやり甲斐搾取が行われた。この介護保険制度が開始した2000年頃は就職氷河期とも重なり、数少ない成長産業とも言われる中で、このような事例は枚挙に暇が無い。

次に先ほど述べたサービスの問題がある。顧客獲得の為のサービスは、ホテルやレストランで行われるような上げ膳据え膳のサービスへ一部は繋がった。これは高齢者には喜ばれる訳だが、介護保険制度の理念は「自立支援」であり、全く逆行するものとなってしまった。一方で、介護保険制度が目指した「介護の社会化」については一定程度、実現したと言えるだろう。


また、介護保険制度は3年に一度見直す事になっており、こうした制度の問題はこれまでに何度も見直しが行われ、改善が図られていることは申し添えておく。


次回は、介護認定の制度について述べようと思う。



忘れられないニオイ

今から約20年前に新卒で入った関東の某大学病院での事。


私が配属された循環器内科にVIP患者が入院していた。

サッカー関係の有力者で、見舞いにラモスやトルシエといった有名人が来た時にはテンションが上がったものだ。

その患者は足の血管が狭くなり、血の巡りが悪くなってしまう病気が進行し、足の指先が腐りかけていた。

毎日、消毒と包帯交換が必要なのだが、当然の事ながら痛みを伴うため、その処置には細心の注意を要した。

正直、VIP患者というのはやりにくい。

必要以上に気を遣う。

腐りかけている傷の処置というのは、どうやっても痛いものだが、痛いと怒りだすのだ。

そして何よりニオイがキツイ。

肉の腐る臭いというのは中々に耐え難いニオイを発する。

ニオイが鼻にこびり付いて離れない。

その患者と言えば、そのニオイを思い出すほどだ。

数年前、その患者が本を出版していたのを見つけたため懐かしさから購入してしまった。

それは未だに書斎の本棚に収まっているが、全く読んでいない。


さて、病院というのは独特のニオイがするものだ。

歯医者なんかでも想像出来る方も居るだろう。

そして、高齢者施設にもニオイがある。こちらはほぼ排泄物のニオイだろう。

最近はスメルハラスメントなる言葉も耳にするが、果たして嗅覚というのは人間にとって最古の感覚器と言われるだけあって、かなり敏感なもののようだ。

個人差や好みも様々だし。

無臭が一番だ。


「すごいニオイ」#ジェットウォッシャー「ドルツ」


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煮るなり焼くなり好きにして

今週のお題「いい肉」


11月29日にかけて「イイニク」と言いますが、最近そういうのが多い気がするのは気のせいだろうか。


毎月29日は肉の日とか言って、焼肉屋ステーキ屋が売り出してるのを良く見かける。モスバーガーでも肉の日限定バーガーとかあった気がするから、肉を扱う店なら際限無さそうだ。

背景を考えると、やはり糖質悪役説の影響で、肉などのタンパク質を摂取しよう的な流れなのだろうか。


気のせいか最近は周囲に筋トレとか好きな人が多くなったようで、食べる肉もさる事ながら鍛える肉(筋肉)についても良く見かける。

健康を保つために運動とかするのは結構ですが、何故だろう。


鍛えている人って、ウザい人多くないですか?


そんなに筋肉見せてどうするんですかね。

何で寒いのにそんな薄着なんですか?

体感温度が違い過ぎませんか?

どうして押し付けがましく仲間に入れようとするんですか?


謎です。


いや、私は否定するつもりはありません。

むしろ運動を定期的にしていて素晴らしいと思います。


ただ、何だろう。

何かのために鍛えるのではなく、鍛える事が目的化しているのが理解に苦しむだけで。


まぁ、運動不足の私が言っても説得力は無いのかもしれませんが。


それでも真冬に職場に持参する水筒が、氷でカラカラ鳴っているのはオカシイだろう?

しかもエアコン入ってないし。

皆んな寒くて震えてますから!

残念!!

グングン伸びる

今週のお題「〇〇の成長」


さて、今週のお題

成長と聞いて思い浮かぶのは、やはり「子どもの成長」だろう。


残念ながら大人になると成長を感じる事が減るのは間違いない。

大人になっても若い内は、仕事面での成長や、育児を通して人間的な成長も見られるだろう。

或いは部下を持つようになると、管理職としての成長などもあるかもしれない。

細かいところまで考えれば、出来なかった事が出来るようになる、というのは成長に他ならない。

だとすると、案外、何歳になっても成長というのは出来るのかもしれない。

ただ、歳を取ると、成長以上に老化によって出来なくなる事に意識が向かいがちになるのが悲しいものだ。


一方、子どもの成長というのは目を見張るものがある。

つい最近までオムツをして這い回っていたかと思えば、いつの間にか走り回っている。

その時は大変さのあまり記憶が曖昧なほど日々追われていたが、最近では過ぎ行く日々が愛おしくもある。

写真を見返せば、幼児のころの愛らしさに心奪われる。

そして、もっと可愛がっておけば良かった、育児を楽しめたら良かったと思っても、時計の針を戻す事は出来ない。

当時の精一杯を注ぎ込んだつもりだから、諦めるしかないという気持ちもある。

あの寝不足の日々は、正直、命を削られたし。

ハッキリ言って多胎の育児は二度と経験したくない。


今を大事に精一杯生きて行けば、結果として成長に繋がるんだろうか。

漠然とそんな事を思いながら、華麗に泳ぐ子どものスイミングを眺めている。


果たして、人生にバタフライは必要だろうか?

ラグビー🏉ワールドカップ 〜宴の後〜

ラグビーのワールドカップ南アフリカの優勝で幕を閉じた。

我が家ではこの7週間、すっかり毎週末の楽しみがラグビー観戦になってしまった。

始まった当初、私がテレビで日本対ロシア戦なんかを見て応援していると、

「何が面白いのか、さっぱり分からない」

と言っていた妻も、いつの間にかテレビの前で、

「行けぇ〜っ⁉️」

と声を張り上げていた。

「今日は18時から試合があるから、仕事から早く帰って来なきゃ。」

とか、

オールブラックスの最後のハカを見なくては。」

とか言っている始末。

すっかり『にわかファン』の一員である。

2人の娘たちも同調するかのように、

「ボーデン・バレットはイケメン❤️」

だとか、

イングランド主将のオーウェン・ファレルもイケメン💓」

とか言って応援している。


ん?

顔か❓ 顔だけなのか⁉️

と、娘の将来が少し心配になるのは置いておこう。


日本は準々決勝で敗退したが、史上初のベスト8という素晴らしい結果を残し、ハイレベルな試合の数々は、ラグビーの素晴らしさを存分に伝えてくれたと思う。

それと共にノーサイドの精神と日本の良さも世界に発信して、多くの共感を得た。


色々な意味で楽しめた今回のラグビーワールドカップ

選手やスタッフ、関係者を含め観戦した人々全ての人に感謝したい。


ありがとう。