徒然なる日記

家庭や仕事、社会について日々感じる事を書き連ねます。時には小説のような創作にも挑戦します。

男性育休の義務化に思うこと①

男性の育児参加を促そうと、自民党有志による「男性の育休『義務化』を目指す議員連盟(仮称)」が発足するらしい。

関係者は取材に対し「文化を変える」と鼻息が荒い。

私はこの取り組みには大賛成だ。世の男性諸氏は、もう少し育児の大変さについて身を以て実感した方が良い。この手の論調で良く見かけるのが「大変さだけではない、育児の喜びが…」などとポジティブな面が全面に出される傾向にある。多くは経験者の話だが、ここに取得期間について触れるものは少ない。要するに、たった1日だけでも育休を取れば取得率に加算される訳だ。数日であれば有休を取得するのでも大差ないため、以前は有休として取得していたような人が、取得率向上の為に育休にしている可能性もある訳だ。そうすると実質的には何も変わっていないことになる。男性の育休取得率に関しても平成29年度は5.14%というデータが示され、取得率の向上を目指すという論旨が目立つ。これでも10年位前は1%台を推移していたのだから、上昇傾向なのは間違いないし、過去最高なのも間違いないのだろうけど、8割を超える女性の取得率や世界的なレベルで見たら低過ぎるのは言うまでもない。

これは日本の文化の問題だし、制度上の不備でもあるし、個々人の意識や覚悟の問題でもある。

私は約10年前の平成21年、育休を8週間取得した。当時は制度上の不備があり、夫婦が同時に育休を取得することは出来なかった。そのため、妻が「産休」を取得している産後8週間だけ夫である私が「育休」を取得すると言う、ある意味「裏ワザ」を使った訳だ。当時勤務していた会社で育休を取得した2人目の男性だった。私には取得する必要性があった。それは夫婦ともに両親からの支援が期待出来なかったことに加え、初めて出来た子供が一卵性の双子だったことだ。元々夫婦ともに共働きで、家事などは分担しており、夫婦の立場は対等であることを重視していた。公務員の妻は3年間の育休取得を決めたが、妻に任せきりにするつもりも無かった。とは言え男性による育休の取得は決して簡単なものでは無かった。

育休の取得、しかも8週間という中途半端な期間での育休は難しい面が多々あった。出産予定日に向け仕事の引き継ぎ準備や資料作成などに追われる中、予定日を約1ヶ月後に控えた妻は妊娠高血圧となり緊急入院してしまった。当時の事は今でも鮮明に覚えている。長くなるが振り返ってみよう。

双胎妊娠とは言え、それまでの検診にて順調に過ぎていた。しかし妊娠中という事で節制してストレスの溜まっていた妻は「最後の晩餐」と言い、土曜日の夜に焼き肉を食べに行き、大層満足げに週末を過ごした。そして月曜日の朝、出勤のために家を出て最寄り駅のホームで電車を待っていると妻から電話が掛かって来た。その電話を取ると、

「出血した、どうしよう?」

と泣きそうな声が聞こえて来た。そこで私は入院出来るよう荷物の準備を指示し、直ぐに自宅へ引き返した。途中、職場へ連絡して有休の申請を行い、自宅へタクシーを手配した。自宅へ戻ると妻と共にタクシーで病院へ直行し、結局そのまま緊急入院となり、妻は点滴され絶対安静となった。

妻は双胎でも可能な限り自然分娩を望み、それが可能な総合周産期母子医療センターを備える病院に通っていたが、1人目が逆子状態から変わらなかったため帝王切開の予定だった。緊急入院に伴い予定を少し早めていたが、入院中に状態が悪化した。私は仕事終わりに毎日のように見舞いへ行ったが、妻は胸水が溜まり酸素吸入をすることになり、腎機能が悪化し下肢は象の足のようにパンパンに浮腫んだ足を見ては不安で泣いていた。ヘモグロビン値は正常値の半分程度まで下がり、産後も腎機能の回復は難しいと医師から説明される程だった。羊水の混濁が見られた為、早めた手術予定日すら待てずに、結局、緊急手術となった。

手術は無事に成功したものの、県内最大規模のNICUを備える筈の当該病院が1床しか空きがないという事で、産まれたばかりの我が子は顔を一瞬見ただけで救急車で市内の他病院へ搬送されてしまった。すぐ職場に手早く報告を行い、そのまま育休に入る旨を伝えた。妻の事は心配だったが子供の搬送先病院へ向かうよう病院スタッフから指示された為、直ぐに地下鉄などを乗り継いで搬送先へ向かった。既に子供達は到着して入院していたが、手続き等が当然だが必要なため諸々の書類を記入するなどの対応に追われた。それ以外にも命名や出産に伴う役所での各種手続きも必要な上、子供達が入院している病院からは母乳を届けるように言われた。

それからというもの妻の入院先へ見舞い、搾乳して貰う

→自宅に帰り搾乳した母乳をパックに小分けした上で冷凍

→翌日冷凍した母乳パックを保冷バッグに詰めて子供の入院先に持参し子供を見舞う

→その足で妻の入院先に見舞い、子供の様子を報告しつつ新しい搾乳した母乳を受け取る


…という流れを繰り返す事となってしまった訳だが、各種の手続きはこうした日々の合間に行うことになるため多忙を極めた。

妻は出産後10日程で退院となったが、退院直前まで酸素してたし退院時も歩けなかった為、病院前につけたタクシーまで車椅子で移動する事になって「本当に退院して大丈夫なのか」と心配になったものだ。何とか自宅に戻ったもののリハビリが必要な妻は家でグッタリで、相変わらず子供が入院する病院へ母乳を運ぶ日々は続いた。何より腹が立ったのが、事前に妻が降圧剤を投与されている事を伝えており、その上で母乳が必要か訊ねた際に「必要だから持って来て欲しい」と言われたから頑張って運んでいたのに、ある日NICUの看護師から「お母さんが血圧の薬を飲んでいるので、持って来て貰った母乳は使えません」と言われた事だ。

「だから言ったやないかーっ!!」

と思わず叫びたくなる程には、既に疲労していた。その後も苦労の連続だったが、それはまたの機会に。


何はともあれ育休を取得することによって見えてくるものが多々あるのは確かだ。これを機に多くの男性諸氏が育休を取得することを願ってやまない。